大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和37年(ワ)2327号 判決

原告

森下栄二

代理人

山本正男

外一名

被告

今永一

代理人

北村利弥

外三名

被告

右代表者法務大臣

植木庚子郎

代理人

本山享

外五名

主文

被告らは各自、原告に対し金一〇〇万三、〇五〇円およびこれに対する被告今永は昭和三七年一二月二七日以降、被告国は同月二六日以降、それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

被告らは原告に対し、連帯して金三七五万五、四九七円およびこれに対する被告今永は昭和三七年一二月二七日以降被告国は同月二六日以降、それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

(被告ら)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

(請求原因)

一、原告は昭和二八年三月頃肺結核に罹り同三〇年一月頃から結核菌を排出するようになつたので、同年八月二二日右肺結核治療のため、国家公務員共済組合連合会東海病院(以下東海病院という)に入院し、抗結核剤であるストレプトマイシン、ヒドラジツト、パス等の化学療法を受けた。しかし、漸次高度の耐性菌が出現するようになつたので右療法を断念し、ヒラジナマイドの使用療法を受けることになつたが、胃障害等の副作用のため右化学療法による治療の効果も殆んど期待し得ないところとなり、同三二年夏頃には再び多量の結核菌を排出するような病状となつた。

二、そこで原告は昭和三二年九月一一日、肺結核病巣切除手術の療法を受けるため東海病院を退院し、国立名古屋大学医学部附属病院(以下名大病院という)の今永外科に入院し、同外科部長で右大学教授である被告今永一の手術を受けることになつた。

三、東海病院退院時および名大病院入院時における原告の病状は、右肺上葉S1およびB2の区域(以下単にS1、S2という)に数箇の小葉性ないし結節性の乾酪巣が散在し、該区域の気管支B1およびB2(以下単にB1、B2という)には乾酪性気管支炎および気管支拡張症が併存し、右乾酪巣は抗結核剤であるストレプトマイシン、ヒドラジツド、パス等に耐性を有する多量の結核菌を排出する状態であつた。

四、(一)およそ肺結核治療のため開胸手術を担当する外科医師は、該手術に先立ち充分な診断を試み、病巣の位置、性状等を検討し、如何なる部位を切除すれば完全な手術治療の目的を達し得るかを考慮し、しかも手術に当つては右のような精密な診断に基づき速かにかつ慎重に正確な病巣を発見し、その完全な切除をすると同時に手術前後において余病併発を防止するための万全の措置をしなければならない重大な注意義務を課せられている。

二、(一)ところで、名大病院入院時における原告の病状が前記二、のとおりS1およびS2に乾酪巣が散在し、しかもB1およびB2には乾酪性気管支炎および気管支拡張症が併存していたのであるからこれらの病巣(B1およびB2を含む)を全部切除するか、或いは右肺上葉全域を切除しなければ当該手術の目的を達し得ないにも拘らず、被告今永は、昭和三二年一〇月一六日、右肺結核治療の目的をもつて開胸手術を為し、病巣の一部であるS2およびB2の部分のみを切除し、S1、B1等に存する病巣を残存せしめ、更に手術時における余病併発防止のための適切なる措置を施すことなく手術を終了した。

(2) その結果胸腔内に滲出液が貯溜し、更に残存せしめられた右S1、B1等から排出される結核菌が気管支切断部分に感染し、よつて気管支瘻および胸壁瘻(以下、本件余病という)が併発した。

(三)(1) しかも被告今永は、原告の同被告に対する病状の訴えおよび名大病院日比野内科からの病状連絡に応じ、直ちに充分な診断をすれば、余病併発をより早期に発見し、適切なる措置を採り得、大事に至らしめないですんだにも拘らず、かかる充分な診断を怠つたため、右病状が悪化するまで同病状を発見し得なかつた。

(2) その結果、原告は右治療のため、昭和三三年三月一〇日、同三三年一一月七日、同三四年四月二二日、同年六月二二日と、合計四回に亘る補正成形手術を受けることを余儀なくされ、そのため右肺機能が停止し、右胸部成形後遺症(胸部変形は著明であり、体幹の機能に著しい障害があり、右肩関節は九〇度以上の挙上不能である)による身体障害(等級は四級)がが生ずるに至つた。

なお、原告は右病状の全治しないまま同三四年九月三〇日名大病院を退院し、その後名古屋第二赤十字病院(以下赤十字病院という)に入院し、同三五年八月一〇日頃、辛うじて臨床的治療の状態となり同病院を退院し、同月一六日復職した。

(四) 原告が右(二)(2)および(三)(2)のような状態になつたのは、被告今永の右(二)(1)および(三)(1)の各措置に帰因するものであり、しかも右各措置は右(一)の注意義務に違反するものであるから、同被告には過失がある。

よつて、同被告は、原告に対し本件余病の併発により原告の蒙つた物質的、精神的損害を賠償すべきである。

五、原告の豪つた損害額は次のとおりである。

(一) 物質的損害

原告は、昭和二五年八月二〇日、名古屋国税局に就職しその後肺結核のため東海病院に入院するに至り、同三〇年九月一日より長期休暇となり、更に、名大病院に入院した頃である同三二年九月一日より休職となり、赤十字病院退院後の同三五年八月一六日、同国税局に復職し、現在に至つている。なお、原告は本来ならば肺結核治療の目的の手術としては一回受ければ足り、該手術後六ケ月ないし一年を経過した日時において治癒し復職し得べきところ、本件余病併発のため原告は約二年一〇ケ月も入院を余儀なくされ、復職が約二年四ケ月遅れたものである。

(1) 医薬購入費

本件余病の併発により、当時、健康保険適用外の医薬であるカナマイシン(一本につき金五五〇円)四〇本と、その他、特別にパス一キログラム(金五五〇円)およびドレン一本(金五〇〇円)が右疾病の療法のため必要となり原告はこれらを購入して使用した。

右医薬代金合計は金二万三、〇五〇円である。

(2) 附添看護費

原告は、本件余病の併発のため、昭和三三年二月二日より名大病院退院時である同三四年九月三〇日まで附添看護婦を雇傭した。

右費用は合計四〇万円である。

(3) 食費

原告は本件余病の併発のため、名大病院在院時に体力が極度に衰弱していたので、赤十字病院入院後、同病院から給される食事では体力回復は不可能であつた。従つて、昭和三四年一二月二五日より同三五年八月一〇日まで体力回復のため、同給食以外の食糧を購入した。

右費用は合計八万円である。

(4) 子供の養育委託費

本件余病の併発により、原告の肺結核治療および復職が二年四ケ月遅れたため、原告の家族の生活基盤である収入源は杜絶し、その結果、原告の妻ゆき子が独り過度の労働をしなければならなくなつたので、原告は己むをえず長男明彦を昭和三三年四月一日より同三五年八月三一日まで、次男永彦を同三四年四月一五日より同三五年八月三一日までの間、他人に預けその養育を委託した。

右養育に要した費用は一人当り月五、〇〇〇円合計二三万円である。

(5) 得へかりし給与所得の喪失

本件余病の併発により、原告の肺結核の治療および復職が一年四ケ月遅れたため、その間、原告は給与を得られず、また昇給もなかつた。従つて、原告の得べかりし給与所得の喪失は復職可能時後、退職すべき時までの間に得る給与所得の総計と現実に復職した時より退職すべき時までの間に現実に得る給与所得の総計との差額である。

ところで、原告の年令は、昭和三七年現在、三九年(大正一二年四月二九日生)であり、厚生省発表の平均余命表によれば、その労働可能年数は約二五年である(国税局は停年制を採用しない)から、原告は昭和六二年四月三一日まで就職し、給与所得を得ることができる。従つて、原告の退職時を右昭和六二年五月一日として右差額を計算し、ホフマン法によりその現在額を算出すると、同額は別表一、二記載のとおり、

(イ) 自昭和三三年 四月一六日至同 三七年一二月三一日

金五五万五、六八三円

(ロ) 自昭和三八年一月 一日至同 六二年四月三〇日

金一四六万六、七六四円

(ハ) (イ)(ロ)の合計

金二〇二万二、四四七円

である。

(6) 以上、(1)ないし(5)の物質的損害の合計額は金二七五万五、四九七円である。

(二) 精神的損害

原告は本件余病の併発のため、数回の手術を受けることを余儀なくされ、長年に亘り入院しなければならなかつたばかりかその間、被告今永らから厄介視され、その療養看護については限りない冷遇を受け、そのうえ右反覆された手術による後遺症として前記の如き身体障害が存する状態となり、しかも、一応現在においては治癒しているとはいえ臨床的治癒に止つている程度である。これ等に対する原告の精神的苦痛は極めて大なるものであり、その損害額は金一〇〇万円が相当である。

六、被告国は、名大病院を経営管理し、被告今永を同病院の医師として外科医業務に従事せしめ、同被告は同病院の事業として原告の前記肺切除手術を為した。

従つて、被告国は、被告今永が原告に対し与えた前記損害を同被告の使用者として同被告と連帯して賠償すべきである。

七、よつて原告は被告らに対し連帯して右損害賠償金三七五万五、四九七円およびこれに対する本訴状送達の翌日である被告今永は昭和三七年一二月二七日以降、被告国は同月二六日以降それぞれ完済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

(被告らの答弁および反論)

一、答弁

(一) 請求原因 一、の事実のうち発病時期は不知、その余の事実は認める。

(二) 同二、の事実は認める(但し、名大病院入院時期は昭和三二年九月一〇日である)。

(三) 同三、の事実のうち、S2に乾酪巣二、三個が散在していたこと、およびストレプトマイシン、ヒドラジツド、パスに耐性を有する結核菌が排出されていたことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同四、の事実のうち、被告今永が昭和三二年一〇月一六日S2の区域切除を為し、S1、B1を残存せしめたこと、同手術後気管支瘻、胸壁瘻という余病が併発したこと、同余病の治療のため原告は同被告より原告主張のとおり四回の補正手術を受けたこと、その結果、右肺機能はほとんど停止し、胸部変形、右肩関節機能障害が生じたこと、原告が名大病院を退院し名古屋第二赤十字病院に入院したことはいづれも認め、その余の事実は否認する。

(五) 同五の事実のうち、原告がその主張の医薬品および附添看護婦を使用したことは認めるが、原告主張の損害額および原告を冷遇したことは否認する。その余の事実は不知。

(六) 同六の事実のうち、被告今永が原告に対し損害を与えたことは否認し、その余の事実は認める。

二、反論

(一) 手術療法の施行について

東海病院の診療録によれば同病院における原告の喀痰検査の結果、結核菌の排菌の有無は塗抹、培養ともに、ほぼ常時陽性であり、その耐性の有無は、昭和三二年七月当時においてパス1ガンマー完全、ストレプトマイシン10ガンマー不完全、ヒドラジツド10ガンマー不完全と記載されていた。

このような、長期にわたる各種抗結核剤の加療にもかかわらず、排菌が停止せず、しかも耐性菌が出現している事実からすれば、外科治療は必要であり、その適応性は充分であると判断された。

そこで、被告今永は原告の手術に際しての化学療法については、右の如く三者の薬物のうちストレプトマイシンは10ガンマー不完全であつて効力は未だ期待できるが、原告に未使用のパイオマイシンの使用が望ましいと判断し、ただ、パイオマイシンは結核予防法使用基準によつて手術時における使用は二ケ月の制限があるため、手術開始と同時にその使用を開始し、それまではストレプトマイシンを使用する方針で、手術療法を施行することにした。

(二) 病巣に関する検討

(1) 名大病院における昭和三二年九月一七日の単純写真および一八日の断層写真によれば、病巣は、右肺上葉に限局し、中下葉および左肺野には認められなかつた。右肺上葉の病巣の位置はS2と推定され、示指頭大の円形の乾酪巣を中心に大豆大および米粒大の乾酪巣二、三個が散在し、空洞様陰影は認められなかつた。

更に、東海病院におけるレントゲン写真を検討したところ、主病巣はほぼS2に存在し、昭和三一年九月、S1に拇指頭大のシューフの陰影が発生しているが、同陰影は同年一一月頃より吸収され始め、やがて、殆んど消失しているものと判断された。

(2) また東海病院の診療録によれば、同病院における同二一年一一月一四日の気管支造影透視診断の結果、気管支拡張像は認められず、B2ab、およびB1aに狭窄像があると記載され、更に、同病院における気管支鏡検査の結果、気管支は異常なしと記載されていた。

被告今永において、右造影写真を検討したところ、著明な気管支拡張像はS1、B2その他の領域にも認められなかつた。

(3) 以上の検討に基づき被告今永は、主病巣はほぼ右上葉S2に存在し、気管支には病巣という程の変化はないものと考え、術前の方針としては、S2区域切除によつて充分な治療上の効果を得るものと判断した。

(三) 手術について

被告今永は昭和三二年一〇月一六日、原告の右肺上葉S2区域切除を施行した。即ち、第四肋間で開胸したところ、肋膜癒着は殆んどなく、上葉の視診および触診は充分行なうことができた。その結果、明らかにS2区域に示指頭大の病巣にふれ、これを中心に二、三の小病巣を認めたが、その他には視触診上異常は認められなかつた。よつて、S2区域切除を施行した。気管支B2は気管支瘻の発生予防を充分考慮し、分岐部まで出来るだけ露出切離し、入念な縫合と併せて有茎肋膜で被覆操作を加え、抗生物質を注入或いは散布して手術を終了した。術中の経過は全身麻酔の状態も併せて極めて順調であつた。

(四) 気管支瘻および膿胸予防の対策について

気管支瘻および膿胸は、肺切除療法による合併症のうちで最も発生率の多いものであり、全国国立結核療養所の総合検査によれば、その発生率は一〇パーセント内外であり、名大病院今永外科における発生率は五パーセントである。

ところで、排菌あるいは耐性菌患者の場合はそうでない患者の場合に比べ、右合併気管支瘻の発生率も高いものであるところ、原告は排菌しており、しかも耐性菌が出現しているので、とくに、合併気管支瘻発生の予防に留意した。

即ち、手術手技的には、前記のとおりS2区域切除に際し、気管支B2は分岐部まで出来るだけ露出切離し、入念な縫合をしたうえ、有茎肋膜で被覆操作を加え、更に術中における化学療法としては、手術領域にペニシリン二〇万単位を注入し、区域切除面にはストレプトマイシン一グラムを散布し(術前耐性菌の程度は主としてストレプトマイシン一〇ガンマー不完全であるから、局部的な一グラムの使用は極めて高濃度であつて、その抗菌作用は相当に期待しうるものであつた)、他方、全身的にバイオマイシンの注射を開始した。

なお、術後には、充分な抗生物質を用い、第一回手術以来第二回手術に至る間、次のとおりの薬剤を使用した。

パイオマイシン  五七グラム

ペニシリン    二二七〇万単位

アクロマイシン  一一グラム

その他、テラマイシン、クロロマイセチン等

以上のとおり、合併症の予防には、あらゆる面に、医学的に充分な考慮と手段を尽した。

(五) 気管支瘻および膿胸発生の経過について

(1) 原告の術後経過は比較的順調であつて、気管支瘻の早期発生を思わせる症状もなく昭和三二年一一月五日(術後二〇日)にはほぼ平熱の状態になつた。

(2) ところが昭和三二年一一月二〇日(術後三五日)の断層写真によれば残存肺の再膨脹は良好ではなくそのため上下方に死腔形成が認められた。しかし再膨脹の良否を結論づけるには術後日時も短かくその後の膨脹の進展も充分期待し得たため経過をみることにした。勿論残存の上葉を切除し或いは肋骨切除によつて補正成形を行なうことは時期尚早であり又その医学的根拠は充分でないと考えられた。これは手術を行なうに際しては最小の侵襲によつて最大の効果を図るという術者としての根本理念に基づくものである。

(3) 昭和三二年一二月一日(術後四六日)の平面写真によれば第一二肋骨の背側下縁に至る少量の貯溜液が認められ、次いで同三三年一月七日の平面写真によれば第一肋骨の背側下縁まで右貯溜液の増量していることが認められたので、これは術後肋膜炎の進行状態にあるものと考えられた。

このような術後の肋膜炎は、肺切除療法においては、術後二、三ケ月に、大なり小なり発生する率の高いものである。しかし、そのためめに起る貯溜液による肺の圧迫は充分注意を要する。

そこで、名大病院日比野内科と相談のうえ、化学療法にて右炎症をおさえながら、おさまつた時期をみて補正成形を行なう方針とし薬物投与或いは胸腔穿刺療法を施行した。昭和三三年一月一一日胸腔穿刺で排液を図つたところ、淡黄色透明な非化膿性の液五〇〇CCが得られ、また、同年一月二二日の断層写真によれば貯溜液は未だ充分消失していないが、再膨脹はやや良好となり、手術によつて生じた陰影の他は、新しい結核性病巣と思われる変化のない事等が確認された。

(4) 昭和三三年二月初旬、咽頭炎による発熱が生じたが、これは解熱剤の投与により暫時にして恢復した。

(5) 昭和三三年二月中旬に至り、咳嗽および喀痰が増加し、高熱が生ずる状態となつたので膿胸の併発を危惧し、強力な抗生物質(アクロマイシン、ペニシリン等)をパイオマイシン療法に追加し、同時に胸腔穿刺を二回施行したが、ともに排液はなかつた。

(6) その後、熱は下降傾向をとるも仲々、平熱化する様子がないので、諸症状を考慮のうえ、再開胸により併発病の有無を確かめ、もし、気管支瘻、膿胸等が発生していればその治療を外科的に加えるべきものと判断し、昭和三三年三月四日、再手術施行の方針を決定した。しかし、当時、原告の体力が衰弱していたため、注射等により補強を図り、同年三月一〇日第二回目の開胸をしたところ、気管支瘻、膿胸の併発していることが認められた。

(六) 気管支瘻膿胸に対する手術について

肺区域切除後、気管支瘻が併発した場合は瘻孔閉鎖術、胸成術を為すべきであるが、胸成術は死腔をつぶして治癒を図ることを目的とするものであり、数回の手術を必要とするのが普通である。

原告に対して、昭和三三年三月一〇日、気管支瘻閉鎖術および胸成術、同年一一月七日胸成術および肋膜剥皮、同三四年四月二二目前方胸成術および胸壁瘻掻把術、同年六月二二日胸壁瘻掻把術を施行した。

右のような死腔閉鎖の結果、肺臓は退縮し、その機能を失うのは止むを得ないところであり又程度の差はあれ、胸廓変形、右肩関節機能障害が生ずるのは右手術に必然的に伴う現象である。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、請求原因一、の事実のうち、肺結核発病時期の点を除くその余の事実および請求原因一、の事実のうち名大病院入院時期の点を除くその余の事実はいづれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右肺結核発病時期は昭和二八年三月頃と認められ、また〈証拠〉によれば右名大病院入院時期は昭和三二年九月一〇日と認められ、右各認定を覆えすに足りる証拠はない。

二、そこで、右入院当時における病状について検討するに、請求原因三、の事実のうち、右入院当時右肺上葉S2に乾酪巣二、三個が散在していたこと(なお、〈証拠〉によれば示指頭大の陰影を中心に大豆大および米粒大の各陰影が認められる)、およびストレプトマイシン、ヒドラジツド、パスに耐性を有する結核菌が排出されていたことは当事者間に争いがない。そこで、以下S2の他にS1に結核性病巣が、またB1、B2に結核性病変がそれぞれ存在していたか否かについて判断する。

(一)  まず、S1に結核性病巣が存在したか否かについて検討する。

(1)  証人田淵裕之(医師)は、成立について争いのない甲第一号証の二の二(昭和三一年八月一六日撮影、断層写真、六センチメートルの部位)の所見上、右肺上葉第三肋骨の内側下部に陰影が認められ、同位置はS1区域内であるからS1にも結核性病巣が存在している、また成立について争いのない甲第三号証の二の二(昭和三二年九月一八日撮影、断層写真六センチメートルの部位)の所見上、右病巣は相当改善されているが、なお存在している旨供述しているので、右の点について検討するに、右甲第一号証の二の二の写真上、上から三本目の肋骨の内側下部に拇指頭大程度の陰影一個が認められるところ鑑定人砂原茂一作成の鑑定書添付の断層写真区域解剖図によれば、断層写真六センチメートルにおける右部位はS1区域内に位置していること、また、右甲第三号証の二の二の写真上、右陰影に対応する陰影は、かなり小さく、かつ薄く認められるが、やはり存在していることから右証人田淵の供述は措信できること、

(2)  原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第六号証(医師江田仁郎作成の鑑定書と題する書面)には右甲第一号証の二の一ないし四、甲第三号証の二の一ないし四等の所見上、S1にも結核性病巣が存在している旨記載されていること、

(3)  本件手術の助手を勤めた証人田中義守および被告今永自身も右甲第一号証の二の所見上S1に結核性病巣が認められる旨供述していること、

(4)  原告は名大病院に入院する以前に、四年間も化学療法を受けてきたが、なお耐性を有する多量の結核菌が排出されており、同経過によれば昭和三一年八月当時の前記拇指頭大程度の、しかも後記認定のとおり空洞の存在する病巣が右入院時である同三二年九月当時に治療される程に改善されることは考え難いこと、

(5)  成立について争いのない乙第一号証(今永外科病床日誌)には、S2の切除後である昭和三二年一二月一三日における喀痰検査の結果、結核菌が出現している旨が記載されており、同事実によれば、手術当時にもS2以外の部分に病巣が存在していた蓋然性が高いと考えられること等、右(1)ないし(5)を総合すると、右入院当時S1にも結核性病巣一個が存在していたものと推認され、右認定に反する鑑定人武田義章の、術前の結核性病巣の存在部位はS2である旨の鑑定の結果は次の理由により採用できない。即ち、右鑑定の根拠は、

平面写真の所見上、病巣陰影は右第三肋骨腹側部より頭方、右第五肋骨部より頭方に、上限は右第三肋骨背側部の間にある、

断層写真の所見上、背部より五センチメートルの部位において病巣の形状が最も明瞭に写つている。

気管支造影写真の所見上、B2aの造影の部分的欠損および不整がある、というにある。しかし、右については、鑑定人砂原茂一の鑑定の結果によれば、右認定のS1の病巣は平面写真では骨の陰影に覆われて明瞭には認め難いものと考えられるばかりか、そもそも病巣の位置を明らかにするためには平面写真はそれ自体決定的な資料となり得ず、右については、右甲第一号の一ないし四によれば、断層写真五センチメートルの部位のみならず、六センチメートルの部位にも明瞭に陰影が認められ、右については、鑑定人砂原茂一の鑑定の結果によれば成立について争いのない甲一号証の三(昭和三一年一一月一四日撮影、気管支造影写真)の所見上、気管支中絶像はB2aのみならず、B1ab、B2abにも認められるから、右ないしはいづれも病巣がS2にのみ存在し、S1には存在しないことを決定づけるものとはいえない。したがつて、鑑定人武田義章の鑑定結果は採用しえない。

また、証人田中義守および被告今永の、手術時における触診、視診上、S1には病巣は認められなかつた旨の供述は、触診、視診にも限界があること、および右(1)ないし(5)の事情など考慮すると、右手術時において、S1の病巣は治癒していたことを裏づける何らかの客観的資料が見当らない以上、ただ単に触診、視診上、S1には病巣が認められなかつたとの手術者の供述のみでは右認定を覆えずには足りない(被告側は、手術時の右触診、視診の結果を記載した客観的資料を提出していないので、右供述を裏付けるものは存在しない。)。

なお、右認定S1の病巣の性状は、証人田淵の供述および前記甲第六証ならびに鑑定人砂原茂一の鑑定の結果によればS2と同様、乾酪巣であり、しかも同田淵の供述によれば、昭和三一年九月当時には空洞が存在していたものと認められ、右認定に反する証人田中義守の供述および被告今永本人尋問の結果は採用できない。

(二)  次にB1、B2に結核性病変が存在したか否かについて検討する。

(1)  証人田淵裕之は、前記甲第一号証の二の二の所見上、右第五肋骨左から約五センチメートルの部位に結核性気管支拡張像が認められる旨供述していること、

(2)  証人田渕の供述により成立の認められる甲第七号証および前記甲第六号証には、いづれもB1、B2に結核性気管支拡張像が認められる旨が記載されていること、

(3)  成立について争いのない甲第二号証の二(当時東海病院に勤務していた医師鈴木慈郎よりの原告の病状報告書)には、前記甲第一号証の三の所見上、B1a、B2aに中絶、拡張像が認められる旨が記載されていること、

(4)  鑑定人砂原茂一の鑑定の結果によれば、前記甲第一号証の三の所見上、B1ab、B2abに中絶像が認められる旨診断されていること、

(5)  成立について争いのない乙第二号証一、二(結核患者経過表)の菌検査欄には、例えば昭和三〇年一二月G五、二、二号、同三一年七月G二、〇、六、一号、同三二年一月G〇、〇、三、〇号、同年七月G六、四、二号等と記載されているところ、「G」とは、結核菌が肉眼で見えることを示すものであることは公知の事実であり、右記載によれば、しばしば肉眼で見える程の多量の結核菌が排出されていることが認められ、この排菌の事実とS1、S2の病巣の大きさ、性状を考えるならば、気管支は結核菌にかなり侵され、気管支にも結核性病変が存在していたものと考えられること、等右(1)ないし(5)を総合するとB1、B2に結核性病変が存在していたものと推認され、右認定に反する成立について争いのない甲第二号証の一(東海病院診療録)の四枚目の経過および検査事項昭和三一年一一月一四日の欄に、気管支造影所見上、拡張症などは見られない旨の記事がなされている事実は、同二枚目特殊レ線所見、同年同月の欄に「気管支拡張様の陰影を見る」と記載されていること、および右(3)の事実に照し採用できず、また、同五枚目の経過および検査事項、同三二年二月一八日の欄に「気管支鏡、異常なし」と記載されている事実は、気管支鏡で観察し得る範囲は、気管支のきわめて根元に限られ細部については気管支造影、断層写真等も検討しなければ病変の有無を決定づけられないことなどから右認定を覆えずには足りず、更に、右認定に反する証人田中義守の供述および被告今永本人尋問の結果の各一部は右(1)ないし(5)の事実に照し採用できず、他に右認定を覆えずに足りる証拠はない。

(三)  以上のとおり名大病院入院当時における原告の病状は、S2の他にS1にも乾酪巣が存在し、更に、B1、B2にも結核性病変が存在していたものと判断される。

三、次に、請求原因四、の事実のうち、被告今永が昭和三二年一〇月一六日右肺上葉の区域切除を為し、S1、B1も残存せしめたこと、同手術後、気管支瘻、胸壁瘻という余病が併発したこと、同余病の治療のため原告は同被告より昭和三三年三月一〇日、同年一一月七日、同三四年四月二二日、同年六月二二日の合計四回に亘り補正成形手術を受けたこと、その結果右肺機能は、ほとんど停止し、胸部変形、右肩関節機能障害が生ずるに至つたことは、いづれも当事者間に争いがない。そこで、以下争いある部分、即ち、(一)S2区域切除に際し、被告今永が為した措置、(二)同措置と本件余病併発との因果関係の有無、(三)同余病併発と胸廓成形後遺症による身体障害等との因果関係の有無、(四)右(一)の措置の過失の有無について、順次検討する。

(一)  まず、右区域切除手術に際し、被告今永が為した措置について判断する。

(1)  切除部位について

B2に結核性病変が存在していたことは前記二、(二)で認定のとおりであるところ、証人田淵裕之は成立について争いのない甲第四号証の二の三(昭和三二年一一月二〇日撮影、断層写真)の所見上、B2の気管支拡張症の部位が切除されていない旨供述し、前記甲第六第七号証には、術後のレントゲン写真の所見上、B2の気管支拡張症の部位が切除されているない旨の記載があり、従つて、術後のレントゲン写真所見上、B2の一部が残存せしめられた蓋然性が高いから、被告側において、その保存しているはずの切除部分を提示しB2が全部切除されていることを立証する等、何らかの客観的資料をもつて反証していない以上、右レントゲン所見に従いB2の一部、しかも気管支拡張症の部分が切除されず残存せしめられたものと推認すべきである。

(2)  切除部分の事後措置について、

前記乙第一号証および証人田中義守の供述ならびに弁論の全趣旨によれば、気管支瘻等の余病の併発の防止のため、B2の切除断面は縫合のうえ、有茎肋膜で被覆操作が加えられ、また、手術領域にペニシリン二〇万単位、区域切除面にはストレプトマイシン一グラムが注入、散布され、更に全身的にパイオマイシンの注射が開始されたこと、なお、第二回手術に至るまでの間に、パイオマイシン五七グラム、ペニシリン二二七〇万単位、アクロマイシン一一グラム、その他テトラマイシン、クロロマイセチン等の薬剤が使用されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  そこでS2およびB2の一部分のみが切除され、B2の一部(しかも気管支拡張症の部分)およびS1、B1が残存せしめられたこと、または右(一)(2)の措置と、本件余病併発との因果関係について判断する。

(1)  右(一)(2)の措置自体に手落ちがあり、それが本件余病併発の原因であると認めるに足りる証拠はなく、かえつて鑑定人武田義章、同砂原茂一の各鑑定の結果によれば、同措置は気管支瘻等の余病の併発防止措置として適切であり、同措置自体が本件余病併発の原因ではないものと判断される。

(2) そこで、B2の一部およびS1、B1が残存せしめられたことが本件余病併発の原因であつたかどうかについて検討する。

①  証人田中義守の供述によれば、気管支瘻とは、気管支の断端を閉鎖した部分が縫合不全となり、孔が生ずる状態を意味し、一般的にその原因としては断端に結核菌が存在し、又は、他から附着した場合、断端に結核菌以外の雑菌が感染した場合、極度の栄養障害が生じた場合、非細菌性の炎症が生じた場合が考えられる、ところで、前記乙第一号証によれば術後である昭和三二年一二月一三日喀痰検査の結果、結核菌が出現していること、被告今永本人尋問の結果によれば、気管支瘻は、一般的に耐性菌、排菌がみられる場合により多く発生するものと認められるところ、本件の場合も、耐性菌が多量に排菌されていること、前記(一)(2)および(二)(1)で認定のとおり、手術後の断端処理は適切になされていること、右が原因である蓋然性は極めて少さいと考えられること、等からすると、本件の場合は、右ないしが原因であるとする積極的な理由が見当らない以上、右が原因であつたものと推認される。

②  既に述べたように、B2の気管支拡張症の部分が充分切除されていないと考えられる本件の場合、B2の切除面やその近くに病変が存在していたことが推測され、気管支瘻の発生率は著しく高いものと考えられる。

③  S1の病巣の状況よりすると、S1、B1からも結核菌が排出されていたと考えられるから、S2の区域切除手術後にS1あるいはB1の結核菌がB2の切断面に附着したという場合も考えられる、など右①ないし③を総合すると、本件余病の併発は結核性病変の存在するB2の一部(しかも気管支拡張症の部分)およびS1、B1を残存せしめたこと、あるいは右のいづれかを残存せしめたことが原因であつたものと推認するのが相当であり、右認定と矛盾する証人田中義守の残存病巣がない場合でも外部から感染した結核菌等により気管支瘻が発生する場合が一〇パーセント程あるとの供述、および鑑定人武田義章の、手術中S2の病巣から結核菌が遊離し、残存肺の気管支粘膜に附着したり、他の肺葉気管支等に吸収されて、その粘膜に附着し気管支瘻の発生原因となることがあり得るとの鑑定の結果は、いづれもそれ自体きわめてわずかな事例と考えられるばかりか、成立について争いのない乙第五号証の二(肺手術気管支瘻発生数統計表)によれば、今永外科における肺手術後気管支瘻発生数は統計上、わずか五%程度であり、右の様な一般的な発生原因は、きわめてまれにしか起り得ないものと考えられること、仮に右の様な場合が生じ、それが余病併発の原因の一つとなつたとしても、多くの原因が競合することも考えられるので、必ずしも、前記認定判断を否定する根拠とはならないこと、などから、これらをもつて直ちに右認定を覆えすには足りず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3) 以上の如く、本件余病の併発は、B2の一部およびS1、B1を残存せしめたこと、あるいは、そのいづれかを残存せしめたことが原因であり、右両者の間には因果関係があるものと判断される。

(三)  ところで、本件区域切除手術の後、前記四回の補正成形手術が行われ、その結果、肺機能等に障害が生じたことは当事者間に争いがないところ、鑑定人武田義章の鑑定の結果および被告今永の本人尋問の結果によれば、同四回の補正成形手術は本件余病の治療のため必要であり己むをえなかつたこと、その結果、肺機能等の障害が生ずるのも必然的な現象であることが認められ、同事実によれば同障害が生じたのは、本件余病が併発したことが原因であり、結局、S2区域切除の際、B2の一部あるいはS1、B1を残存せしめたことが原因である、即ち、同障害の発生とB2の一部あるいはS1、B1を残存せしめたこととの間には因果関係があるものと判断される。

そこで、同障害の程度について判断するに、〈証拠〉によれば、原告は、右病気が全治しないまま昭和三四年九月三〇日名大病院を退院し、その後赤十字病院に入院し、同三五年八月一〇日頃臨床的治癒の状態のまま退院し、同一六日復職したが、現在、右胸廓成形後遺症による第四級の身体障害があるものと認められ、右認定に反する証拠はない。

なお、原告は、第一回目の補正成形手術の時期が遅れたため、本件余病が悪化し、そのため更に三回もの同手術を受けることを余儀なくされ、その結果、肺機能等の障害が生ずるに至つた旨主張しているが、鑑定人砂原茂一の鑑定の結果によれば既に気管支瘻、胸壁瘻が併発していた以上、一、二ケ月早く外科的処置が講ぜられなかつたことがその後の経過に決定的な影響を及ぼしたものと断定することはできないものと認められるから、右主張は採用できない。

(四)  そこで、被告今永が区域切除に際し、S2の一部およびS1、B1を残存せしめた措置は、同被告の過失に基づくものであるかについて判断する。

(1) 被告今永は、名大病院今永外科部長であつて、外科の専門医であることは当事者間に争いがない。従つて同被告が肺結核の治療のため肺切除の手術を為す場合には、事前にレントゲン写真や診療費などにより充分な調査をしたうえ病巣の位置、性状等を正確かつ慎重に診断し、如何なる部分を切除すれば完全な治療の目的を達し得るかおよび余病併発を防止しうるかを十二分に検討考慮し、治療目的、患者の体力、余病併発の可能性などに照らし、より適切な切除および余病併発防止措置を為すべき専門医としての高度の注意義務が課せられているものというべきである。

(2) ところで、B2の一部を残存せしめた被告今永の措置について検討するに、前記甲第六、第七号証には、本件のように耐性菌が出現しており、しかもB2に気管支拡張症が認められる状態(その上、本件においては、その耐性菌が多量に排菌されていた)においてB2の一部を残存せしめた場合の切断面において気管支瘻が発生する危険性はきわめて高いものであること、従つてとくに本件の場合はB2を分岐点まで出来る限り分離し切除すべきであることが記載されており、右見解に反する証拠もないので、被告今永には原告の肺切除手術に当りを分岐点まで出来る限り分離切除すべき注意義務があつたものというべきである。

従つて、B2の一部を残存せしめたことは右注意義務に違反するものであり被告今永には過失があるものと判断される。

(3) 次にS1、B1を残存せしめた措置について検討する。

証人田中義守の供述および被告今永本人尋問の結果によれば、同被告は、前記甲第一号証の二の所見上、S1に病巣が存在することを認めたが手術直前のレントゲン写真である前記甲第三号証の二の所見上、右病巣は相当改善されほとんど消滅したものと判断したこと、および手術時における触診、視診上異常が認められないと判断したこと、によりS1、B1を切除せず残存せしめたものと認められる。

しかし、前記のとおり昭和三一年八月当時におけるS1の病巣は拇指頭大程度の乾酪巣であり、しかも空洞も存在していたものと認められること、手術以前に四年間も化学療法を続けてきたが、なお手術直前においても耐性を有する著しく多量の結核菌が排出されていたこと、S2の病巣の性状、大きさの割には排菌(しかも耐性菌の排菌)の量が著しく多過ぎることから、S1の病巣が完全に治療したと考えることは困難であり、またB1にも結核性病変が存在していることが考えられること、S1の病巣はS2病巣と近接しており、S2の切除の際にS1に影響し、S1の病巣が悪化する危険性が考えられることなどを考慮すれば被告今永が原告の肺結核治療目的の肺切除手術をするに当り、S1、B1を残存せしめるべきものと決定するに際しては、とくに病巣又は病変の位置、性状等について慎重で充分な検討をすべき注意義務がある。ところで、鑑定人砂原茂一の鑑定の結果によれば、病巣の状態を明らかにするためには、気管支造影写真を利用するのが普通であり、この場合気管支の構造、走行が極めて複雑でかつ立体的であるから背腹方向だけでなく側面又は斜面方向よりの写真を撮影しておくべきものと認められるところ、本件では甲第一号証の三(背腹方向の写真)のみ撮影されているだけで、側面又は斜面方向よりの写真が撮影されたと認められる証拠は見当らず、しかも右甲第一号証の三も昭和三一年一一月一四日に撮影されたものであり、手術直前に気管支造影写真が撮影されたと認められる証拠はなく、同被告がただ単に右甲第三号証の二の所見のみに基づき、S1の病巣が相当改善されているという一事をもつて同病巣はほとんど消滅し、治療したものと考え、直ちに最終的判断を手術時における触診、視診にゆだねたのは手術前における病巣に対する検討につき慎重さを欠いたものというべきであり、また同被告の手術時における触診、視診については、前記乙第一号証の手術記事をみても「病変はS2にあり」とのみ記載されているだけで、S1の病巣に対する触診、視診上の結果も記載されておらず、同事実によれば、むしろ同被告はS1の病巣に対しそれ程注意を向けなかつたのではないかとの疑念さえ窺われるのであり、病巣の検討につきやはり慎重さを欠いているものと考えられ、同被告の右各措置、従つてまたS1、B1を残存せしめたことは病巣の検討についての右注意義務に違反するものであり、被告今永にはこの点においても過失がある。

(五) 以上のとおり、被告今永が肺切除手術に際し、B2の一部およびS1、B1の病変の双方もしくはいずれか一方に対する性状判断を誤り、その結果切除部分の判断を誤り、その双方を残存せしめたため、その双方もしくはいずれかの結核性病変が原因となつて、本件余病が併発したものと推認され、同余病併発の結果、右肺機能停止および胸廓成形後遺症による身体障害が生じたものと認められるところ、同被告の右措置は医師としての注意義務を缺いた過失に基づくものと判断されるから、同被告は原告に対し、右余病併発により原告の蒙つた物質的、精神的損害を賠償すべきである。

四、そこで、本件余病の併発により、原告が蒙つた物質的、精神的損害額について判断する。

(一)  物質的損害

原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告は昭和二五年八月二〇日、名古屋国税局に就職し、その後、前記肺結核のため同三〇年九月一日より長期休暇、同三二年九月一日より休職となり、同三五年八月一六日、同国税局に復職し現在に至つていることが認められ右認定に反する証拠はない。

(1)  ところで、請求原因五、(一)(1)の事実および同(2)のうち原告が附添看護婦を使用した事実は当事者間に争いがなく、右(2)のその余の事実および同(3)の事実は原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第八、第一三、第一四号証および原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨により認められ、右認定に反する証拠はなく、かつ、右各損害は本件余病の併発により通常発生する損害と判断される。

(2)  請求原因五、(一)(4)および(5)の主張は、本件余病の併発により原告の肺結核治癒および復職が二年四ケ月遅れたこと、即ち、余病の併発がなければ昭和三三年四月頃右病気が治癒し、復職が可能であつたことが前提であるが、その前提事実を認めるに足りる証拠はなく、また、いつ右病気が治癒され、復職が可能であつたかを認定し得る資料もない。そうすると、右(4)、(5)の主張は、この点ですでに理由がない。

(3)  従つて物質的損害は請求原因五、(一)(1)ないし(3)の合計五〇万三、〇五〇円と判断される。

(二)  精神的損害

(1)  原告は被告今永らから厄介視され、その療養看護について限りない冷遇を受けたとの原告主張事実については、これに符合する前記甲第八、第九号証、および原告本人尋問の結果も存するが、同本人尋問によると原告の病状が思わしくはないことや子供を他人に預けねばならないような家庭事情などから、ことのほか不安になり悲観的感情にとりつかれていたため、考えすぎてそのように感じたのではないかとも考えられるので、右証拠から直ちに右主張事実を認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(2)  前記のとおり、原告は、本件余病併発のため四回の補正成形手術を受けることを余儀なくされ、その結果、右肺機能の停止、胸廓成形後遺症による身体障害が生ずるに至つたもので、その精神的苦痛は大なるものと認められるが、現在一応治癒し右後遺症にかかわらず復職していること等を考慮すると、精神的損害は金五〇万円が相当と判断される。

(三)  以上のとおり、本件余病の併発により原告が蒙つた物質的、精神的損害は合計金一〇〇万三、〇五〇円と判断される。

五、被告国は名大病院を経営管理し、被告今永を同病院の医師として外科医業務に従事せしめていること、被告今永が同病院の事業として、原告の前記肺切除手術等を為したことは当事者間に争いがない。従つて、被告国は、被告今永の使用者として、同被告の原告に対し与えた前記四、の損害金一〇〇万三、〇五〇円を同被告と連帯して賠償すべきである。

六、以上のとおり、被告らは、原告に対し、各自右損害賠償金一〇〇万三、〇五〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかな被告今永は昭和一七年一二月二七日以降、被告国は同月二六日以降、それぞれ完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。従つて本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書、第九三条を適用して主文のとおり判決する。なお仮執行の宣言の申立については、その必要がないものと認めこれを却下する。

(越川純吉 笹本忠男 熊田士朗)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例